2012年2月9日木曜日

Theatre Essay 観劇雑感「稀有な劇場で聴く渾身、ほっこりライヴ」(2012.1.28「中西俊博コンサートReel’s Tripはじめてのひかり」青山円形劇場)

「中西俊博コンサート Reel's Trip はじめてのひかり」写真提供:青山円形劇場
 演劇ファンにも演じ手たちにも、青山円形劇場は稀有な劇場(こや)だ。
 舞台は円形。これを、最多時で376の客席が、緩やかなすり鉢状に取り囲む。どの席からも演じ手の顔がはっきりと見え、裁判やボクシングの試合さながらの、臨場感あふれる芝居を体験できる。上演中、舞台の向こうの薄闇の中に反対側の観客が浮かび上がり、鏡を見ているような不思議な感覚を味わえるのも、ここならではだ。いっぽうの演じる側は、通常の舞台なら正面、あるいは斜め横からの視線しか受けないが、ここでは四方八方から注視され、全身くまなく観客の目にさらすとあって、独特の緊張(あるいは快感?)を覚えるのではないだろうか。かつてここで観た「THE・ガジラ」の芝居の、むき出しの魂の衝突。篠井英介版『欲望という電車』の、痛々しさ。遊◎機械「ア・ラ・カルト」の、さりげなくも幸福感に満ちた老夫婦の食事シーン…いずれもこの劇場でなかったら、何年も経った今に至るまで、心に残ってはいなかったかもしれない。
さてこの劇場、演劇のみならず音楽のライブにも実にいい、と今回、中西俊博のコンサートを通して知った。
演劇ファンにとっては、前出の「ア・ラ・カルト」で楽しげにヴァイオリンを奏でていたあの人、としてお馴染みの中西だが、音楽の世界ではヴァイオリニスト、作曲家、編曲家、音楽監督として、ポップスから演歌まで幅広いアーティストと交流し、様々な作品で活躍する多才の人。円形劇場でのコンサートは1998年から続いていて、ここ数年は自ら見つけ出した気鋭の若手ミュージシャンたちと「Reel’s Trip」というバンドを組み、行っているという。
開演前、プログラムを開くと序盤の演奏曲に「Reel Around the Sun」「American Wake」とあり、目が留まった。
アイリッシュ・ダンスを世界的に広めたショー『リバーダンス』の代表的なこの2曲、アイルランド文化が専門の一つである筆者にとっては、何百回聴いたか分からないナンバーだ。前者のタイトルにある「Reel」は、一般的には「リール」「糸巻」の意だが、アイルランド音楽で特徴的な、車輪の回転を想起させる4拍子の曲のことでもある。(中西のバンド名も、これに由来するのかもしれない。) ショーが一世を風靡したことで、これまでにも様々なアーティスト、楽団が取り上げているが、なかなかサントラ盤の完成度に勝るものはなかったような気がする。
だがReel’s Trip版の演奏は、一味違った。オリジナル版の序奏部分が「日の出」を思わせる静けさなのに対して、パーカッションとギターの雷鳴とどろくような音を響かせ、場内を一瞬にして「宇宙の創生」さながらのイメージで包み込む。「こどもの城」内の劇場で演奏するにはちょっと怖すぎるかもしれない(?)おどろおどろしいアレンジだが、作曲者のBill Whelanも目を見開きそうな、オリジナリティ溢れるヴァージョンだ。紅一点のパーカッショニスト、はたけやま裕が曲調の変化に応じて淡々と、無駄のない動きでドラム、ボウロン(アイルランドの片面太鼓)と次々に楽器を変えてゆく。後半の「American Wake」は原曲に近いアレンジ。躍動感あふれるダンスナンバーで、オリジナル版の舞姫、ジーン・バトラーが現れて飛び入り参加してくれないかな、などと夢想してしまう。ヴァイオリニスト(ここではアイルランド流にフィドラーというべきか)にとっては超絶技巧が試される曲だが、楽器の周りをすり抜け、客席に微笑みかけながら(3メートルと離れていないので自然と目があい、こちらも笑顔になってしまう)、急ピッチでメロディを奏でる中西が実に楽しそうだ。客席では体を揺らして拍子をとる人もいれば、腕組みをして瞑想風に聴き入っている人もいる。めいめい勝手に楽しんでいる感じがいい。
この後、しばし中西によるオリジナル曲を演奏。若いころ、レコード会社の「こういう傾向が売れるよ」という助言に従って書いたという、彼曰く「健康的な」4曲などが披露されるが、アレンジによるのか、初めて聴く身には十分にかみごたえがあり、いわゆるBGM的な「軽さ」はない。休憩を挟んで二部が始まると、中西とピアニストの伊賀拓郎が現れ、お喋りを交えながら即興で『Sound of Music』の「My favourite things」をセッションした。「しめくくりはクラシック風にね」という打ち合わせだけで、ぴったりと息の合う演奏。バンドのふだんの「音遊び」はこんな感じかと想像でき、観ている側も楽しい。その後、席に戻ってきた他のメンバーにも中西が一人ひとり話題をふり、それぞれの人となりが少しずつ覗く。再びオリジナル曲やピアソラの「リベルタンゴ」 を経て、コンサートは佳境へ。中西が、本公演のタイトルを「はじめてのひかり」とした次第を話しはじめた。昨年の震災後、チャリティ公演を開いた彼だが、コンサート自体は成功したものの、ふと自分自身に対してひっかかりを覚えたという。被災地への支援の心が出発点でも、演奏を始めるとどうしても曲の中に入り込んでしまい、音の美しさを追求したり、楽しんでしまう。演奏が終わって我に返り、「これでいいのか」と思う。そんな迷いを抱えつつ、今の気分として「光を見たい」という思いから、このタイトルを選んだのだという。こうして、本公演の核であるオリジナル曲「ビッグバン」「最初の光」「エピソード」の演奏が始まった。「Reel around the Sun」同様、この世に光が生まれ、大地が創生されてゆくかのようなストーリー性のある音楽に、中西、伊賀、はたけやまにギターのファルコン、ベースの木村将之が時に重く、時に軽やかに、自由自在に音を色づけてゆく。聴いていて、遠大な旅に出ているような気分になる。
アンコールの「アヴェマリア」まで、2時間半弱。ポップスからオリジナル、ロックまで幅広い音楽が、表情豊かに彩られただけでなく、親しみを感じられる出演者たちと小空間で時を共有する喜びも加わり、「おなかいっぱい」の満足感を得られるコンサートだった。
ところで中西が吐露した迷いについて、筆者は「それでいいのでは?」と思う。演劇に置き換えると、例えばある役者がチャリティ公演で「ロミオとジュリエット」のロミオを演じたとする。彼が出演を決めた動機はチャリティの心だったとしても、役を演じている間もそのことを意識されていては、芝居が別の方向に行ってしまう。「ロミオとジュリエット」という芝居が成立するのに、彼には全身全霊でロミオを演じてもらわないと困るのだ。これと同じで、中西も演奏中は100%音楽に入り込み、その曲の美を追求してほしい。それに聴衆が感銘を受け、対価(入場料)を払って良かったと思えることが、チャリティであろうとなかろうと、その公演の開催意義であり、「音・楽」というものではないか…と思う。