2011年10月24日月曜日

Theatre Essay 観劇雑感 「『女二人の戦い』劇の意外な爽やかさ」(2011.10.2明治座『大奥~第一章』)

『大奥~第一章』ふく(春日局)役・松下由樹(左)、江与(江)役・木村多江
(10月27日まで上演中。明治座 www.meijiza.co.jp/ )
写真提供・明治座 

 カーテンコールで近くの席のマダムたちがさっと立ち上がり、力強く拍手を始めた。
観客の年齢層が高く、たいていは落ち着いた空気に包まれている「商業演劇」のカーテンコールでは、珍しい光景だ。そっと表情をうかがうと、満たされた、いい笑顔をしている。2003年から放映されたフジテレビ時代劇『大奥』の今回の舞台化は、江戸時代初期という遠い時代の、将軍の乳母(春日局)と実母(江与または江)という特殊な境遇の女性たちの争いを描きながらも、現代の女性観客の心を確かに、掴んでいた。

遠い世界の物語を現代に引き寄せた要素の一つは、ビジュアル。まずは春日局や江与の絢爛豪華な衣裳が、理屈抜きに目を楽しませる。役柄に合わせてデザインされ、京都の職人によって一点一点制作されたという打掛は、安土桃山文化の華やかな残り香を漂わせつつ、それぞれに個性的。なかでも、江与が後半の一シーンで纏う「流水千鳥文友禅打掛」が印象的だ。現代ではちょっとお目にかかれない、「かぶいている」とでも形容したくなるような鮮やかな青緑の地色に、多産の彼女に因んで「夫婦円満」のシンボル「千鳥」と、人生の幾多の荒波を乗り越えてきたことを表す「流水」のモチーフ。江与役の木村多江が纏って登場すると、照明を跳ね返さんばかりに燦然と輝く。江与の「濃い」人生を凝縮したかのような衣裳、なのだ。
江与の衣裳より、「流水千鳥文友禅打掛」(写真提供・明治座)

 女性客へのアピールという面では、徳川家康、秀忠、家光の三世代の将軍役に近藤正臣、原田龍二、田中幸太朗という、演出の林徹が呼ぶところの「新旧イケメン実力派俳優」を配しているあたりも、手堅い。近藤は出番が3シーンしかないのが嘘のような大きな存在感を放っているし、気弱で三枚目的な秀忠を楽しそうに演じる原田は終盤、死にゆく妻を介抱する場面で一転、しんみりと情味を醸し出し、確かな演技力を見せている。
 しかし何よりの成功は、適度に笑いの要素もまぶしつつ長大な物語を3時間にまとめあげ、女主人公二人の生き様をすっきりと浮かび上がらせた、浅野妙子の脚本だろう。こうした「女の戦い」芝居では、対立の顛末を面白おかしく描くことに心血が注がれがちだが、本作はまず、二人のこれまでのいきさつを簡潔に回想。背景を明確にしているので、観ているほうは物見高い野次馬的感覚ではなく、より役の心に近づきながら、運命のいたずらによる二人の争いを感慨深く観ることができる。
 のちに春日局となる「ふく」は武士の妻だったが、不幸な事件がきっかけで離縁され、子供たちとも別れて上京。ようやく徳川家の乳母の職を得る。生きるため、また人生の理不尽さに対する悔しさを晴らすため、この仕事に邁進しようと心に決めている。目的を定めた「キャリアウーマン」タイプの女性である。
 いっぽう江与は、織田信長の姪という特別な環境に生まれた、いわゆる「セレブ」。世が世なら天真爛漫に育つところだが、度重なる戦乱で両親を失い、長じてからは政略結婚の具となり、子と引き離され…と悲運続きで、感情的、情緒不安定気味でもある。三度目の結婚で徳川秀忠の正室となり、今度こそ「家族」を形成し、安らぎを得たいと渇望している。
 ほぼ異次元で生きてきたこの二人が、江与の出産を機に出会う。生まれたばかりの竹千代は家康の考えによって江与から取り上げられ、ふくが養育。キャリア上のステップアップにも直結するとあってふくは熱心に職務に励むが、江与は突然現れた見知らぬ女に子を奪われた無念さを晴らそうと、次に生まれた国松を自分の手で育て、溺愛。さらには次期将軍はこの子にと願い、ふくとの対立が激化してゆく…。
 「キャリアの追求」と「子への情愛」。現代の、仕事や子供を持ったことのある女性ならごく自然に持っている二つの原動力が共存を許されず、激しく衝突しているところに、この物語の悲しさがある。和解を取り持つような第三者もなく、心を割って話す機会のないまま、二人は勝負をつけるところまで行ってしまう。竹千代の立場が危ういと考えたふくが直訴し、家康が「次期将軍は竹千代」と宣言。江与は失意と狂気の果てに倒れ、ふくは「春日局」として大奥組織を確立してゆくのだ。一見、ふくの「大勝利」、である。

 しかし、物語はここでは終わらず、それから年月を経た春日局の死までをフォローする。自分が育て上げた将軍を託せる人材に出会い、もう思い残すことはない、と心安らぐふく。するとその目の前に江与があの世から「迎え」に訪れ、二人は連れ立って旅立つ。誰にも平等に訪れる死の前では、「勝ち」も「負け」も儚い、一瞬の夢でしかない…。この「諸行無常」的な結びに余韻があって、いい。二人はこの時初めてわだかまりを越え、穏やかに語り合う。
 思えばお互い、母と子が平和に暮らせる世に向かって、懸命に生きていたのかもしれない。ふくが立派な将軍を育て、また江与が犠牲となって長男を手放したことで、徳川家は安泰となり、戦国時代が終わったのだ。二人の間に同性ならではの共感が生まれ、波乱万丈の成り行きにはらはらしていた観客もほっと胸をなでおろす。
 そして幕切れ。ふくはこの世の見納めとばかりに客席を見まわし、きっぱりと「さればこれにて、おさらばにございます。」と言い放ち、踵を返す。「素敵なキャリアウーマン」が言いそうな、潔いこの世との別れである。
 こんなふうに充実した人生を生きられたら…。
 遠い世界、遠い物語を軽々と飛び越え、そう思わせる脚本だ。バイタリティ溢れる松下由樹のふく、病床で子への思いを吐露するシーンで涙を誘った木村多江の江与、二人の渾身の演技がさらに役に魂を吹き込む。筆者も仕事を持つ女性、母ゆえだろうか。観劇後、二人の人生から思わぬ「元気」を得て、足取り軽く、地下鉄の駅へと向かった。